2022.02.27
2022.02.27
テンさん、お誕生日おめでとうございます。
この世界に生まれてきてくださって本当にありがとうございます。
言葉やパフォーマンスでいつでも心を救ってくれるひと。
いつでも愛に溢れた、チャーミングなひと。
たくさんの才能を持ち、それを存分に発揮してくださるひと。
どんな瞬間でもうつくしく、綺麗で、かわいくて、格好良くて、鮮烈で、おしゃれで、あまりにも素敵で。どんな言葉を集めたってその存在の全てを言い表すことができないひと。
テンさんの歌声を聴いたりうつくしいダンスを見るたびに「救い」や「祈り」という言葉をよく思い浮かべる。うつくしく、つよく、うまくいい表せないけれど声を聴いた瞬間心臓がぎゅっと掴まれどくどくと脈だち、「このひとはかみさまみたいだ」と思わせるような、そんな歌声。ダンスはいつも指先まで神経が通っていて、ひとつひとつの動きがほんとうに軽やかで、鮮やかで、優雅で、どこに居たってその姿は光り輝いて眩しい。画面越しでも目が眩む眩しさを纏ったテンさんを見た後気がついた瞬間にはどうしようもない幸福や希望でほろほろと涙を流している時がたくさんある。
昨年「Paint Me Naked」と「Low Low」の2作品を拝見できたことはわたしにとって最上の幸福だった。色鮮やかな世界で紡ぎ出される歌やお星さまが弾けるようなパフォーマンス、使われている小道具だって全てテンさんとヤンヤンさんのためにあったのではないかと思われるほどの素敵な映像はつよくわたしの脳裏に焼き付いていて、数日経ったって消えることはなかった。もちろん今だって消えることはない。なんだか夢を見ているみたいだった。きっとテンさんを推している方々なら一度は夢見たことがあるような世界がまざまざとそこに映し出されていたから。望んでも実現しないことなんてこの世にはごまんとある。けれどわたしが見たものは間違いなくいつか夢で見たような鮮やかでうつくしい世界で。夢だけど、夢じゃなかった!なんて思う日が生きている中で来ることがあるのか、と思いながらあまりにも眩しいその動画を今日まで何度も見返している。そしてこれからも夢みたいだな、と思いながらわたしは何度も見返すのだろう。
たった一度の人生の中でこれほど胸を揺さぶられるパフォーマンスをしてくださる方と出会えたことは間違いなく幸福だな、とつよく思う。それと同時にテンさんがたった一度きりの人生の中で「アイドルになる」という道を選んでくださったことをつよく感謝しなければいけないといつも思う。
テンさん、たった一度きりの人生の中でアイドルになるという選択肢を選んでくださってありがとうございます。
どうかたくさんの愛で多くのひとを救っているテンさんが、たくさんの人からの多くの愛で救われますように。
どうかテンさんの願った夢が、願った形ですべて叶いますように。
テンさんがこの先もずっとテンさんが愛するひとびとと、愛するものたちに囲まれてしあわせに暮らせますように。
テンさんが毎日幸福とやさしさに包まれ、あたたかい気持ちで眠りにつけますように。
生まれてきてくださって、ほんとうにありがとうございます。
どうかテンさんの日々がずっと安寧でありますように!
2022.01.17
2022.01.17
記念すべき威神V 3周年記念日。
威神Vのみなさま 本当におめでとうございます。
ここまで健やかに、素敵に、あまりにも最高に生きてくださったみなさまのことを思うと感謝、の一言では言い表せません。この記念すべき日を同じ時間の中で、同じ人間として過ごせること、心から嬉しく思います。本当にありがとうございます。
はじめて威神Vのみなさまを拝見した時のことを今も鮮明に覚えている。あまりにも眩い光を放つ、7人のひとたち。画面越しなのにあまりにもひとりひとりが全身からつよい光を放っていてなんだかくらくらした。力強くこちらを見遣る瞳には夜空の中で無数に輝いているお星さまの中でもいっとう輝くお星さまがかみさまの手によって埋め込まれていて、そのうつくしい声から紡ぎ出される歌には音が、息が消える最後まで命が宿っていて、指の先まで神経の入ったダンスは信じられないほど上手だった。曲が終わると同時に自然とほろほろと涙が溢れ止まらなくなってしまう中でわたしは呆然と「かみさまに愛されたひとたちだ……」と思わずにいられなかった。そこからは一瞬だった。今まで出たMVを睡眠時間を削って一瞬もそのうつくしさを目から取りこぼさないように、と画面に張り付いて試聴したり、インターネットの海の中を必死に泳いで威神のみなさまのプロフィールを拝見したり、はじめてCDを購入し推しである钱锟さんのトレカを自引きしてあまりもの喜びで公共の面前で叫び倒してしまったり、1年ぶりに再会した大好きな後輩にいきなり顔写真を見せ「この中で好きな顔はいますか?」と尋ねて同じ沼に引き摺り込んだり。昨年は非常に・いい意味で・威神Vのみなさまに狂わされた1年だった。
わたしが威神Vの沼に浸かりたての頃に威神Vの名前の由来を調べたことがあった。威神の由来は中国語の「神威」(神の如き威力)に由来しているという一文を見たときにわたしの頭の中で火花が弾けた。わたしが最初に感じた「かみさまに愛されたひとたち」という感性は近いところにあったのか、となんだかとても嬉しかったし、あまりにも「神の如き威力」という言葉が当てはまっている。かみさまだって威神Vのみなさまを生み出したときにきっと驚き「え〜ちょっと…ちょっと…(笑)こんな…滅茶苦茶うつくしい子たち出来ちゃったどうしようウケる(笑)こんなうつくしい子たちありえる?大きくなったらこの7人でなにかしらグループできるように運命決めちゃお(笑)」と思っていたのではないか、と勝手ながら想像する。断言する。威神Vのみなさまを生み出したかみさま、あまりにもセンスがいい。そして言わずもがな威神Vさまもあまりにもセンスがいい。そして威神Vのみなさまを推しているわたしもファンのみなさまも、あまりにもセンスがいい。わたしは自分のことが世界で1番嫌いだけれど「あまりにもセンスのいい威神のみなさまを愛しているわたしは好きだ……」と思うことができる。そしてあまりにもセンスのいいファンのみなさまとお友達になり、あまりにもセンスのいい威神Vのみなさまのお話ができる。心が救われる。わたしは威神Vのみなさまにたくさん、救われている。
正直に言うと「威神のみなさまにもうすこし早く出会えてれば」と思う瞬間が幾度とある。もうすこし早く出会えていたら中国にライブを見に行けたかもしれない、もうすこし早く出会えていたらたくさんの同じ楽しい時間を共有できたかもしれない、2周年もこうしてリアルタイムでお祝いをしたかった、など多くのどうしようもないことを考える日だって少なくはない。然し過ぎたどうしようもないことを嘆いても仕方がないので今こうして同じ時代に生まれてこられて、こうして同じ時間を生きられ、これからの活動を同じ時間で応援できることに只々感謝するしかないのである。「センスのいいかみさまへ 威神のみなさまと同じ時代に生み出してくださってありがとう」と心の中で感謝する。そしてこれから威神のみなさまに出会うべき多くの人々がすこしでも早く出会えるように応援していきたいという想いが芽生える。わたしが多くの瞬間に威神のみなさまに救われたように、これから威神に救われるみなさまが出会えるように、わたしも微力ながらできることをしていきたいとつよく、思った。
たった一度の人生の中でアイドルになる選択をする、ということはどれほどの覚悟がいるのだろう、と考える。わたしたちにいつも愛を伝えてくださる威神のみなさまはどれほどの哀しみや痛みを乗り越えて、わたしたちに愛を伝えて、やさしく微笑みかけてくださるんだろう。どれだけの大変なことを背負ってわたしたちにつよく、やさしい言葉をかけてわたしたちを安心させてくれるのだろう。想像もつかない。簡単に想像できてはいけない。
どうか、威神Vのみなさまにすこしでも哀しいことがなく、健康でしあわせに過ごしてほしい。どうか、悲しみで満ち溢れ打ちひしがれる夜より希望の朝が多くあってほしい。傲慢な願いを言うと威神Vのみなさまが歩く道はずっと花道であってほしいし、小石ひとつですら落ちていて欲しくはないし、高い高い壁が立ちはだかることがなくずっと光がさしてほしい。威神Vのみなさまが疲れた時はなにも気にすることなくゆっくり休めて、心の安寧が常に保たれていてほしい。でもわたしはかみさまではないからそれができない。くやしい。かみさまでもないただのひとりのファンはただ希うことしかできないけれど、きっとかみさまに愛されたひとたちだから、かみさまがやさしくしてくれると信じている。
最後に威神Vのみなさま、改めて本当に3周年おめでとうございます。
たった一度の人生の中でアイドルになるという選択をしてくださって、アイドルでいてくださって、本当にありがとうございます。
どうかいつも愛をくださる威神Vのみなさまがたくさんの愛に包まれ、両手に抱えきれないほどの幸福が降り注ぎ、安寧でいられる一年でありますように。
威神Vのみなさまの願う夢や希望が、すべて望んだかたちで叶いますように。
威神Vのみなさまが、そして威神Vのみなさまが愛するひとたちが、そして威神Vのみなさまを愛する人たちが、いつだって絶えず幸福でいられますように。
威神Vのみなさま、生まれてきてくださって本当にありがとうございます。
これからも威神のみなさまに惜しみない愛を!どうかずっと、安寧で。
2022.01.14
2022.01.14 21:45
労働を終えた。長い長い労働だった。幸いなことに来てくださったお客さまはやさしいお客さまばかりだった。けれど突然1時間の残業を頼まれ労働終了5分前には行き場のない鬱憤を持ったクレーマーと呼べるお客さまの格好の餌食となった。そんな辛さだって別に今となってはどうだっていい。そう、これから待ちに待った威神Vのシーズングリーティングのひとり開封式をするからだ。
実はシーズングリーティング自体は数日前には我が家に到着していた。然し来た当日とその後の数日間わたしにはやるべきことが積み重なっており「そんな片手間で大好きな威神Vのシーズングリーティングを開封したくはない!」という自分の プライドから手元にあるのに開封をしないという状況に至ったのである。素晴らしいものを見るためにはそれ相応の環境・状況を整えなければならない。そんな思いから届いた当日から今日までは店舗特典という素晴らしい文明のトレカを人には見せられないような満面の笑みで眺めることしかできなかった。だが今日すべてのやらなければならないことを終えやっとこのシーズングリーティングを開封することができる権利を得た。
紺色のおおきく、すこし重い箱のフィルムに手をかける。綺麗な箱に傷をつけないようにとゆっくりとフィルムを剥がしていく。緊張からか手が汗ばんでいくのに口はどうしようもなく乾いていくのだから困った。見る前からこんな状態ではどうなってしまうのだろうか。開封式をするのだから、と特別なときにしか飲まないバタフライピーの紅茶で喉を潤す。心做しかシーズングリーティングの紺色の表紙に青色のバタフライピーの紅茶が雰囲気として似ていて今日のわたしはいつもよりセンスがいい、と勝手に調子に乗った。丁寧に丁寧に剥がしていたからか思いの時間がかかってしまったがフィルムを開け終わりそのすこし重い箱の上蓋に手をかけた。わくわくする。今回のシーズングリーティングはパイロットモチーフだけれど飛行機に乗って飛び立つ前のわくわく感のようなものを開ける時から感じる。白いお洒落な中蓋を開くとそこにはたくさんのわくわくする素敵なものが詰め込まれていた。胸がぎゅっとなる。毎年シーズングリーティングを開けるときはこのクリスマスの朝にサンタさんにプレゼントを開けた時のような胸の高鳴りを感じられるのか、と思うととても幸せだな、と考えた。
まず初めにどれを開けるかとうんうん十数分悩んだ結果ダイアリーを開いた。わたしは日記をつけるのが苦手だ。昔から三日坊主になりやすく「わたしの日々何も変わらない日常の記憶をしたって……」という思いからどれだけ素敵な手帳を買ったってよくて3ヶ月、最短で3日で書くことを放棄してしまう。どうせ書かないのだから今年は日記帳も購入しないでおこうかと思うくらい日記へのモチベーションが下がっていたがこの素敵なダイアリーを見たらすこしだけでも頑張ってみようかな、という気持ちになった。非常に単純だ。でもそれでいいと思う。推しが関わると人間は簡単に単純になってしまうとわたしは感じているし。「威神のみなさま。今年日記を頑張ってつけてみよう、と思う理由になってくださってありがとうございます」と心の中で呟いてみる。もう2022年が開けて少し経ってしまったけれどわたしの今年の目標がまたひとつ増えた。うれしい。威神のみなさまはたくさんわたしに目標を与えてくださるなあ、と思う。今年の目標は少しでも中国語や韓国語、英語がわかるようになること。これも威神のみなさまが与えてくださった目標だ。威神のみなさまに触れると何か新しいことがしたくなる。毎日何も変わらない日々の中で生きているわたしにとっては威神のみなさまに出会ってかなり味の濃い日々に変化した。その幸福をすこしでもこのダイアリーに言葉として書き残せたら見返した時にすぐにその思い出が蘇るな、と思ったら俄然やる気が出てきた。でもその前にわたしはきれいなものを汚すのが極端に苦手な傾向があるためダイアリーをきれいにうまく使えるように色々勉強しなければ、と意気込んだ。また目標がひとつ増えた。
次にポストカードの封筒を開ける。開けた途端喉から自然とひ、とちいさな悲鳴が出た。白いお洋服を身に纏ったうつくしくてやわらかくてそれでいてどこか儚さを纏った钱锟さんと目が合う。その瞬間どうしようもなく申し訳ない、という気持ちが心から湧き上がった。こんなにきれいでうつくしいひとをわたしなんかが見させていただけるなんて、と思う。それほどにうつくしく、綺麗だった。ごめんなさい、と思うのに钱锟さんのポストカードをじっと見てしまう。心では謝っていても行動は全く制御できない。まんまるの瞳の中におほしさまを宿してこちらをじっと見つめている姿はあまりにもきれいで、うつくしい。このうつくしい瞬間を写真として残してくださったカメラマンさんにも、こんなにうつくしい钱锟さんにもどうしようもなく感謝の気持ちしか生まれてこなかった。钱锟さんの1枚目を眺めてから10分も経った。あまりにもうつくしい钱锟さんをずっと眺めていた。わたしからしたら一瞬だったから時計を見てびっくりしてまた同時にあまりにも自分の気持ち悪さを知り絶望する。意を決してポストカードを捲る。2枚目も钱锟さんでまたあまりにもうつくしくて驚いた。危ない、これはまた同じ末路を辿る。まだ開けるものが全然残っているのだ。今度はすぐにポストカードを捲る。テンさん、ウィンウィンさん、シャオジュンさん、ヘンドリーさん、ヤンヤンさん。漏れなく全員に小さな悲鳴をあげた。あまりにもうつくしすぎる。かみさまはなんて人たちを生み出してしまったんだ!とひとりの部屋で叫ぶ。ひとりひとりが瞳の中におほしさまを宿していてその光は誰にもうばえないあまりにも綺麗なまばゆさだと呆然と思う。かみさま、ほんとうになんて人たちをこの世に生み出してしまったの、と再度呟く。威神のみなさまを生み出したかみさまともし会えるとするならばわたしは全力で「あなたは本当にセンスのいいかみさまですね!」と褒め称え続けるだろう。
ポストカードを開けてからはもうほとんど覚えていない。ただ無我夢中でわくわくするあまりにも素敵なものたちを子供のように開けていたことだけは覚えている。あまりのうつくしさにぎゃあ、と大きな声をあげたりこんなに素敵なものが今自分のものとして自分の手元にあるということのどうしようもない喜びからしくしく泣いたりもした。労働で感じていた疲れなどはとうに消え失せて、胸にはどうしようもない愛おしさと喜びと幸福と大きな愛とすこしの罪悪感だけが残っていた。
このブログを書いているときに钱锟さんがちょうどWeiboで生放送を始めた。わたしは中国語が全然わからず何を話しているかも全く検討がつかなかったけれどとてもたのしそうに、いつものかわいらしい笑顔で元気に笑いながら長くなった黒髪をゴムで結いていた。先程のうつくしい写真とのギャップを感じる。どちらの钱锟さんもかわいらしくて、とてもいとしい。钱锟さんっていとしいに手足を生やしたひとだな、といつも思っていることを改めて感じる。いつも思っていることだけれど今日は特につよく感じた。同時に钱锟さんが今こうして自分と同じ時間帯を生きていて、お話ししてくださったり演奏をしてくださっているという事実に不思議な気持ちになった。先程まで見ていたこのうつくしい人は今わたしたちと同じ時間を生きているんだ。それだけで胸がぎゅっとなった。
2022.01.14.23:59
シーズングリーティングを見たり钱锟さんの生配信を見て呆然と「威神のみなさま、アイドルになってくださって、そしてアイドルでいてくださってありがとう」とつよく、改めて思った。以前钱锟さんは歌手にならなかったらパイロットになりたかった、というお話をどこかで見かけたことがある。今回のシーズングリーティングを見ていたときにそのお話を思い出して「钱锟さんはもしかしたらこのようにパイロットの格好に身を包んで空の旅をしていたのかもしれない」と思ったらとても不思議な気持ちになった。钱锟さんはとてもすてきな方なのできっとパイロットになっても威神のみなさまがもしひとりでも別の道を選んでいたら現在わたしたちが見ている威神のみなさまはいない。たった一度きりの人生の中でアイドルという選択肢を選んで下さって、愛を伝えてくださっている威神のみなさまにきっとずっと絶えのない幸福と愛と安寧があって欲しいと、今日も希っている。
2022.01.10
2022.01.10
お気に入りのマグカップにたっぷりの牛乳を入れて電子レンジで温める。わたしは日常生活の何もかもが苦手の分類に入るため今日もいつも通り電子レンジの中を牛乳まみれにさせた。爆発、というやつ。人生で何度目?生きるのってほんとうに大変だ。
失敗を経てできたホットミルクにはちみつをひと匙入れる。よかった、钱锟さんのラジオに間に合った。YouTubeを起動させて待つ。今日もきれいで、かわいくて、あたたかな姿が映る。ああ、すてきだなあ。光を纏ったひと。そして、わたしなんかが応援してごめんなさい、と心の中で謝る。午前中は泣きながらずっと応援してごめんなさい、と謝っていたことを思い出してちょっとだけ苦しくなった。でも単純だから钱锟さんの瞳がやわらかく弧を描いただけでどうしようもなくしあわせな気持ちになる。ほんの少しだけわかるようになった钱锟さんの発する言葉を聴きながらふと思った。
钱锟さんの声って、はちみつを溶かしたホットミルクみたいだな。
あたたかくてやさしくて、心をやわらかくしてくれて、どこかせつなく、胸がぎゅっとなる。推しさんの声もはちみつを溶かしたホットミルクもとても似ている。
数日前、Twitterのタイムラインで同じように钱锟さんを応援しているみなさまが钱锟さんのお声のお話をしていた。わたしはコミュニケーション能力がとても乏しいためたくさん出る钱锟さんのお声への表現に「わかる・そう思う・とても同意・好き・愛」などの気持ちをとびきり込めていいね!のハートをつよく指で押した。Twitterのみなさまの言葉はとてもすてきでわたしに持っていない思いを持っていてとても楽しい。今日だってTwitterで钱锟さんの可愛さにぎゃあぎゃあと叫びながらラジオを見たかった。でも出来なかった。
昨日わたしはTwitterを削除した。
きっかけは昔からの知り合いに「君に応援されているひとや好きになられているひとはみんな可愛そうだね」という言葉を投げかけられたことだった。そんなのいちばんわたしがよく分かっている。本当はその場で「そんなの1番自分がわかっているから勝手にさせてくれ!」と叫び散らかしたかった。でもその時のわたしはへらへらと笑いを浮かべながら「そうだねえ」と告げることしかできなかった。精神をインターネットに殺されていた。
わたしはアイドルさまのことを応援するアカウントとは別のアカウントがある。そこでは好きなものの話などは一切しておらずただただ日常生活で思ったこと・感じたことなど生活の記憶や記録をしている。ありがたく、とても申し訳ないことにたくさんの人の目に触れる機会が多くなり気づいた時には「わたしでありわたしではないようなアカウント」として半ばわたしの手を離れてしまっていた。
ある日わたしはそのアカウントで好きなアイドルについてのツイートをした。数時間後仲の良かったフォロワーから「え?そのアイドルのどこがいいんですか?センス疑う……」とDMが来た。苦しかった。センスを疑う、と書かれたことに対してではなく「そのアイドルのどこがいいんですか?」と書かれたことだ。わたしが好きだと言ったせいでわたしの好きなアイドルが悪く言われる機会ができてしまった。そのことが何よりも1番、苦しかった。
またある日とある有名な歌手の方がわたしの何気ないツイートにたくさんいいねをしてくれた。わたしはその歌手の方が昔からとても好きで何度かライブにも行っていた。何の気まぐれか間違いかはわからないがフォローを返してくれてとても幸せな気持ちになっていた時に知らない人からDMが来た。「〇〇さんからフォローしてもらっていいねもたくさんしてもらってますけどリア友ですか?〇〇さんに俺のこと紹介してください!」という文だった。もちろんわたしとその歌手の方には何の関係もない。わたしは「リア友じゃないです。わたしもずっと〇〇さんのことが好きでファンだったためとても驚いています。」と返事をした。するとすぐに「ファンのくせにフォローされてんじゃねえよ死ね好きなのやめろ」と返ってきた。わたしは何かを好きでいてはいけなくて、何かを好きだと声に出してはいけないんだな、とその瞬間呆然と思った。
日常の生活の記録と記憶の場所では好きなことを自由に呟けない、でも好きでいたい、と思ったわたしはひっそりと好きなことをつぶやく場所を作ろうと思いだいすきな钱锟さんや威神・NCTのみなさまのことを話すアカウントを作った。前述の通りひっそりと声を大きくしないで愛を言葉にしていこうと思ったけれどすてきな言葉で推しているひとびとへの愛を語っている方々の姿を見ていたら繋がらずにはいられなかった。愛をこれほどに大きな声で言ってもいい世界があるんだと毎日うれしくて、しあわせで、しくしくと泣いた。けれどそれほど甘くないのも事実だった。深夜に捨て垢のひとから届いた「お前みたいな言葉足らずが推さないでください」のDM。わたしはまた、好きなものを好きだと言ってはいけないようだった。
アイドルさまを応援するアカウントを作って数ヶ月、たくさんの人に出会った。推しのすてきなところを見つけるのがとびきり上手なひと。推しの情報をまとめて面白く布教してくれるひと。推しの絵を描くのが上手だったりデコレーションをするのが上手だったりセンスのいいひと。同じ気持ちを共感してくれるひと。たくさんの人と多くの瞬間で好きなことで盛り上がることができた。幸福だった。「なぜその幸福を知っているのにインターネットのよく知らないひとの言葉で揺れ動くの?」と思うひともきっといるであろう。わたしも今はそう思う。けれど何度もインターネットに傷つけられてしまうとその判断でさえも鈍ってしまうのだ。
言語がわからないながらも今日も柔らかな光を纏っている钱锟さんを呆然とホットミルクを啜りながら見た。21時にたのしくお話をしているTwitterのひとびとを思い出した。今日はどんなことをお話しされているのだろう、わからない。わたしは好きなものを好きと言っちゃいけないらしいからもう戻れないのかもしれないな。あのたのしい空間には戻れないのか、そう思った時にふとめそめそと悲しみの海にいた心が唐突に沸々とした怒りに変化した。「顔も見えない直接話したこともないひとにどうしてわたしの好きが抑えられなければならないんだ?」と普通に気づくことを今気づく。インターネットの傷は怖い。今こうして文章を打っていてなぜそんなに簡単なことが気づけなかったの、と思う。急いでTwitterを復旧する。Twitterに30日制度があってよかったなあとしみじみ思う。Twitterも「お前……ずいぶん早く返ってきたな……」と思ったであろうがそんなことはどうだっていい。今わたしはこの気づきを、哀しみを無駄にしないようにこのブログに焼き付けている。「わたしなんかが応援してごめんね」という気持ちはまだ拭えそうにはないけれど、せめて好きだとは勝手にでも言わせてほしい。それが他のひとにとっての不快なのかもしれないけれどわたしにとっての幸福であるから。わたしの幸福を、見知らぬだれかに殺されたくない。理由は今はそれだけで十分だと思う。
わたしは全てのインターネットに関わる方々がどうかインターネットに殺されませんように、と希う。偽善者だ、とどこかの罵られてしまうかもしれないけれど大きい声じゃなくても好きなひとやもの、ことを好きだと言っても大丈夫な世界でありますようにともずっと、希っている。
2022.01.01
2022.01.01
钱锟さん、お誕生日おめでとうございます。
この世界に生まれてきてくださってほんとうにありがとうございます。
寒い日にあたたかい心を持って生まれてきてくださったひと。
やさしさを纏って青い炎を心で燃やすひと。
やわらかな笑顔がかわいらしく、瞳にお星様を宿しているひと。
かわいいとうつくしいと格好いいとすてきと__とにかく、たくさんの言葉が似合うひと。
たくさんの才能と愛に溢れ、いつだってしあわせを与えてくださるひと。
あまりの素晴らしさに求婚者の列が絶えない【旦那アイドル】の称号をもったひと。
(かみさま・・・あの・・・わたし・・・結婚など大きなことを望まないし・・・社会貢献するので・・・ほんとうに・・・もし钱锟さんがご結婚されて・・・いつかパパになるという報道が発表された瞬間に近くの電柱に頭をぶつけて死ぬので・・・転生して钱锟さんの子供にならせてほしい・・・(強欲))
まだまだ言い切れないほどの魅力を持った钱锟さん。
钱锟さんを生み出したかみさまって、もしかして、かなり、センスがいい__?
(お正月にお誕生日を設定したりしたのできっとセンスがいいかみさまです)
そしてそんな钱锟さんを応援しているわたしもきっとセンスがいいのかも!と思うと
きらいな自分のことがすこしだけ好きになれます。钱锟さん、ありがとうございます。
钱锟さんのやさしい声を歌やラジオ・動画で聞くたびに
胸がぎゅっと締め付けられてほろほろと自然と泣いてしまうことが多いです。
「だいすきな声なのに泣いてしまうなんておかしいな……」と思うことも多いですがきっとこれが愛というものだ!と考えたら涙だって幸福に思えてきてしまいます。
钱锟さん、ほんとうにありがとうございます。
钱锟さんに出会う前と後で、わたしの人生はがらっと変わりました。
钱锟さんを応援する前ってわたし、どんな風に生きていたんだろう?と思ってしまうくらい
わたしの生活は钱锟さんによって変化しました。
……重い!重すぎるのですがほんとうに钱锟さんに出会ってたくさんのしあわせを知りました。ほんとうにありがとうございます。
人生のとても大切で貴重な時間の大半を多くのひとを喜ばせ、幸せにし、
愛するために使ってくださってほんとうにありがとうございます。
アイドルになってくださって、ほんとうにありがとうございます。
生きて存在してくださって、ありがとうございます。
人生を救ってくださって、ありがとうございます。
钱锟さんがこの世界にご存在してくださっているだけで
今まで生きづらかった世界が今日もきらきらと輝いて見えます。
本当にたくさんの方々の救いになってくださっている钱锟さんが、
どうかたくさんの方からのいっぱいの愛で救われますように。
钱锟さんがこの先もずっと
钱锟さんが愛するひとびとと、愛するものたちに囲まれて
しあわせに暮らせますように。
钱锟さんの願う夢や希望が
すべて望んだかたちで叶いますように。
钱锟さんの毎日が悲しい日よりも、1日でも楽しい日の方が多く、
やさしくあたたかく穏やかでしあわせで、うつくしいものでありますように。
钱锟さんが何度生まれ変わったとしても、
世界一しあわせでいられますように。
あなたは、ずっとわたしの光です。
生まれてきてくださってほんとうにありがとうございます。
钱锟さんとわたしの僅かな共通点のひとつ お写真!
钱锟さんの概念を拾い集めるのはとてもしあわせでたのしかったです。
どうか钱锟さんの毎日が安寧でありますように。
钱锟さん、あなたに出会えてよかった!
いつもはあまり言葉にして言えないのですがほんとうに、だいすきです。