やさしさと光

安寧を祈る

2022.01.10

2022.01.10

 

お気に入りのマグカップにたっぷりの牛乳を入れて電子レンジで温める。わたしは日常生活の何もかもが苦手の分類に入るため今日もいつも通り電子レンジの中を牛乳まみれにさせた。爆発、というやつ。人生で何度目?生きるのってほんとうに大変だ。

失敗を経てできたホットミルクにはちみつをひと匙入れる。よかった、钱锟さんのラジオに間に合った。YouTubeを起動させて待つ。今日もきれいで、かわいくて、あたたかな姿が映る。ああ、すてきだなあ。光を纏ったひと。そして、わたしなんかが応援してごめんなさい、と心の中で謝る。午前中は泣きながらずっと応援してごめんなさい、と謝っていたことを思い出してちょっとだけ苦しくなった。でも単純だから钱锟さんの瞳がやわらかく弧を描いただけでどうしようもなくしあわせな気持ちになる。ほんの少しだけわかるようになった钱锟さんの発する言葉を聴きながらふと思った。

 

钱锟さんの声って、はちみつを溶かしたホットミルクみたいだな。

 

あたたかくてやさしくて、心をやわらかくしてくれて、どこかせつなく、胸がぎゅっとなる。推しさんの声もはちみつを溶かしたホットミルクもとても似ている。

数日前、Twitterのタイムラインで同じように钱锟さんを応援しているみなさまが钱锟さんのお声のお話をしていた。わたしはコミュニケーション能力がとても乏しいためたくさん出る钱锟さんのお声への表現に「わかる・そう思う・とても同意・好き・愛」などの気持ちをとびきり込めていいね!のハートをつよく指で押した。Twitterのみなさまの言葉はとてもすてきでわたしに持っていない思いを持っていてとても楽しい。今日だってTwitterで钱锟さんの可愛さにぎゃあぎゃあと叫びながらラジオを見たかった。でも出来なかった。

 

昨日わたしはTwitterを削除した。

 

きっかけは昔からの知り合いに「君に応援されているひとや好きになられているひとはみんな可愛そうだね」という言葉を投げかけられたことだった。そんなのいちばんわたしがよく分かっている。本当はその場で「そんなの1番自分がわかっているから勝手にさせてくれ!」と叫び散らかしたかった。でもその時のわたしはへらへらと笑いを浮かべながら「そうだねえ」と告げることしかできなかった。精神をインターネットに殺されていた。

 

わたしはアイドルさまのことを応援するアカウントとは別のアカウントがある。そこでは好きなものの話などは一切しておらずただただ日常生活で思ったこと・感じたことなど生活の記憶や記録をしている。ありがたく、とても申し訳ないことにたくさんの人の目に触れる機会が多くなり気づいた時には「わたしでありわたしではないようなアカウント」として半ばわたしの手を離れてしまっていた。

 

ある日わたしはそのアカウントで好きなアイドルについてのツイートをした。数時間後仲の良かったフォロワーから「え?そのアイドルのどこがいいんですか?センス疑う……」とDMが来た。苦しかった。センスを疑う、と書かれたことに対してではなく「そのアイドルのどこがいいんですか?」と書かれたことだ。わたしが好きだと言ったせいでわたしの好きなアイドルが悪く言われる機会ができてしまった。そのことが何よりも1番、苦しかった。

 

またある日とある有名な歌手の方がわたしの何気ないツイートにたくさんいいねをしてくれた。わたしはその歌手の方が昔からとても好きで何度かライブにも行っていた。何の気まぐれか間違いかはわからないがフォローを返してくれてとても幸せな気持ちになっていた時に知らない人からDMが来た。「〇〇さんからフォローしてもらっていいねもたくさんしてもらってますけどリア友ですか?〇〇さんに俺のこと紹介してください!」という文だった。もちろんわたしとその歌手の方には何の関係もない。わたしは「リア友じゃないです。わたしもずっと〇〇さんのことが好きでファンだったためとても驚いています。」と返事をした。するとすぐに「ファンのくせにフォローされてんじゃねえよ死ね好きなのやめろ」と返ってきた。わたしは何かを好きでいてはいけなくて、何かを好きだと声に出してはいけないんだな、とその瞬間呆然と思った。

 

日常の生活の記録と記憶の場所では好きなことを自由に呟けない、でも好きでいたい、と思ったわたしはひっそりと好きなことをつぶやく場所を作ろうと思いだいすきな钱锟さんや威神・NCTのみなさまのことを話すアカウントを作った。前述の通りひっそりと声を大きくしないで愛を言葉にしていこうと思ったけれどすてきな言葉で推しているひとびとへの愛を語っている方々の姿を見ていたら繋がらずにはいられなかった。愛をこれほどに大きな声で言ってもいい世界があるんだと毎日うれしくて、しあわせで、しくしくと泣いた。けれどそれほど甘くないのも事実だった。深夜に捨て垢のひとから届いた「お前みたいな言葉足らずが推さないでください」のDM。わたしはまた、好きなものを好きだと言ってはいけないようだった。

 

アイドルさまを応援するアカウントを作って数ヶ月、たくさんの人に出会った。推しのすてきなところを見つけるのがとびきり上手なひと。推しの情報をまとめて面白く布教してくれるひと。推しの絵を描くのが上手だったりデコレーションをするのが上手だったりセンスのいいひと。同じ気持ちを共感してくれるひと。たくさんの人と多くの瞬間で好きなことで盛り上がることができた。幸福だった。「なぜその幸福を知っているのにインターネットのよく知らないひとの言葉で揺れ動くの?」と思うひともきっといるであろう。わたしも今はそう思う。けれど何度もインターネットに傷つけられてしまうとその判断でさえも鈍ってしまうのだ。

 

言語がわからないながらも今日も柔らかな光を纏っている钱锟さんを呆然とホットミルクを啜りながら見た。21時にたのしくお話をしているTwitterのひとびとを思い出した。今日はどんなことをお話しされているのだろう、わからない。わたしは好きなものを好きと言っちゃいけないらしいからもう戻れないのかもしれないな。あのたのしい空間には戻れないのか、そう思った時にふとめそめそと悲しみの海にいた心が唐突に沸々とした怒りに変化した。「顔も見えない直接話したこともないひとにどうしてわたしの好きが抑えられなければならないんだ?」と普通に気づくことを今気づく。インターネットの傷は怖い。今こうして文章を打っていてなぜそんなに簡単なことが気づけなかったの、と思う。急いでTwitterを復旧する。Twitterに30日制度があってよかったなあとしみじみ思う。Twitterも「お前……ずいぶん早く返ってきたな……」と思ったであろうがそんなことはどうだっていい。今わたしはこの気づきを、哀しみを無駄にしないようにこのブログに焼き付けている。「わたしなんかが応援してごめんね」という気持ちはまだ拭えそうにはないけれど、せめて好きだとは勝手にでも言わせてほしい。それが他のひとにとっての不快なのかもしれないけれどわたしにとっての幸福であるから。わたしの幸福を、見知らぬだれかに殺されたくない。理由は今はそれだけで十分だと思う。

 

わたしは全てのインターネットに関わる方々がどうかインターネットに殺されませんように、と希う。偽善者だ、とどこかの罵られてしまうかもしれないけれど大きい声じゃなくても好きなひとやもの、ことを好きだと言っても大丈夫な世界でありますようにともずっと、希っている。